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2007/04/27

台湾紀行④「10元」

「滞在4日目」

昨日の台湾総督府へ訪問した際、何度も名前が出てきた蒋介石が奉られている「中正紀念堂」へ行ってみた。

ちなみに、「中正」という名は建国の父とされる孫文(彼は「中山」とも呼ばれる)が蒋介石につけた名前らしい。

到着早々、正面にそびえ立つ高さ70メートルもの巨大な白門に驚かされた。

門を潜ると広大なスペース(なんと全長480M!)になっていて、その遥か前方には彼のメモリアルホールがある。

この時何故か映画の「ベン・ハー」が頭をよぎり、気付いたら道のド真ん中を歩いていた。

歩く事数分、ようやくホールに辿り着く。

すると今度は彼の生存年数と同じ89段の階段がお出迎え。

なんだか物凄く疲れつつも、ようやく彼とご対面。

そこには左・右衛兵に守られ、ニヤケ顔で座っている全長6.3メートルもの巨大な石像が!

昨日、台湾総督府のボランティアガイド林玉鳳さんのお話を伺った事もあり、蒋介石の顔を不快に感じてしまう。

何故時の権力者は自分の銅像を立て、力を誇示しようとしたがるのだろう?

またこの広大な敷地はまるで天安門を意識したかのようだが、現在この銅像を見て市民達は何を思うのだろう?

ただ1時間毎に行われる衛兵交替は見物だった。

3人の兵が動きを一糸乱さず行進し、10分ほどライフルを用いたパフォーマンスをする。

この衛兵達、かなりのエリートらしく180cm以上で細身、容姿端麗という条件付らしい。

まるで、モデルのオーディションのようだ。

そんな蒋介石の像は国内に幾つかあるらしいが、地域によっては取り外され始めているという。

次回来台するまで、果たして微笑んでいられるのだろうか?

そうこうしてる間に、昼時になったので紀念堂近くの大衆食堂「チンフォンルーロウファン」へ。

ここでは、「ルーロウファン」という挽肉と椎茸を醤油で煮込んだものをご飯にかけたものと、牛のスープを食す。

70元(約280円)と激安、激ウマだった!

腹も満たされたところで、地下鉄とバスを乗り継ぎ「国立故宮博物院」へ。

ここはルーブル(仏)、メトロポリタン(米)、エルミタージュ(露)と並ぶ「世界四大博物館」に名を連ねている。

中国各王朝の権力や財力を象徴するような、青銅器、書画、陶磁器、玉器、彫刻などが約60万点収蔵されている。

青銅器を見れば学生時代の「山川」の教科書を思い出し、書画を見れば高校時代の選択科目で仕方なくやっていた書道を思い出し、陶磁器に至ってはポケ〜と眺め、「あ〜俺ってぶっちゃけ故宮アウェイかも…」とあきらめかけたその時、玉器と彫刻コーナーが救ってくれたのだ!

玉器に至っては故宮一有名な「翠玉白菜」がお目見え。

これは字の如く「ミドリ色のハクサイ」である。

貴重なヒスイを贅沢に使い、葉の部分にキリギリスとイナゴがくっついている。

えっ?何がいいかって?

だって面白いではないか、超贅沢な石に白菜、しかもキリギリスとイナゴとは!

それともう一つ、「肉形石」。

これも字の如く「肉の形の石」(…って「の」入れただけか)。

奇跡的に天然石が「豚の角煮」に似てるっていうもの。

う〜ん、面白い!

中華5000年の歴史が「白菜」と「角煮」なんて!

それと彫刻としては…あっ、漢字変換出来ない…、え〜オリーブの実を用いて造られた「屋形船」。

メチャメチャ小さい(1.67cm×3.4cm)オリーブを一体どうやって彫刻したのか、船内には表情まで違う8人が乗り、なんと船の扉は開閉可能で柱に模様まで彫り込まれている。

虫眼鏡で見れるのだが、あまりの細かさに深い溜息が出た。

なんだかんだ故宮を堪能し、帰りのバスに乗り込むも小銭が足りなく大きいお金で払おうとしたら、

「あっ、これお釣り出ないから10元(本当は15元なのに)でいいですよ!」

運転手のおじさんはニコっと笑っておまけしてくれた。

ホント、台湾人は温かいなぁ。

今日も人の優しさに触れた一日であった。

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2007/04/23

台湾紀行③「アイデンティティー」

「滞在3日目」

今日は珍しく早起きし、「台湾総統府」に行く事にした。

外出するなり生憎の雨模様で、若干テンションが下がりつつもどうにか辿り着く。

ここはいわゆる台湾の「ホワイトハウス」なので、物凄くセキュリティーが厳しい。

入り口には無表情の若い衛兵がライフルを持って目を光らせている。

そんな緊張感に包まれた中、入り口で手荷物を預け、パスポートを提示後金属探知機へ。

無事セキュリティーをクリアーすると、「林玉鳳さん」というボランティアガイドの方が迎えてくれた。

この後玉鳳さんには多くの事を教わり、また考えさせられる事になる。

皆さんご存知だとは思うが、日本は日清戦争で勝利し、下関条約(1895年)によって台湾を獲得。

その後終戦(1945年)までの50年間、台湾を植民地にしてきた過去がある。

教科書レベルの知識しかなかった私は玉鳳さんが、もっと広く言えば台湾人が日本人をどう思っているのか非常に興味があった。

さて、そんな心中でガイドが始まったのだが、ツアー早々驚かされたのは彼女の「完璧な日本語」だった。

幼少期に強制的に使わされていたとはいえ、60年以上たった今でも綺麗な日本語を話されるのだ!

そんな現代の日本人より綺麗な日本語を話す彼女曰く。

「日本人は台湾人に本当によくしてくれました。」

「日本のおかげで台湾のあらゆるものの水準が飛躍しました。」

日本人の私としては、そう言って頂けるのは嬉しい限りだが、同時に何故支配下にあった台湾人の彼女がそう言ってくれるのか不思議に思った。

そこには、どうやら深い歴史的背景があるようだ。

日本統治以前の台湾は、あらゆる面において発展途上段階であったが、統治後は急速に交通、水道、教育、建築などが近代化した。

水道網の発達で2毛作が可能になり、それまで低かった識字率が急速に上昇、建築に至ってはこの総統府をはじめ街中に今尚多くの当時の建造物が残っている。

日本が降伏後、ようやく開放されたところへ毛沢東(共産党)との内戦に破れ大陸を追われた蒋介石(国民党)が30万人もの難民を引き連れ、台湾にやって来た。

蒋介石は「228事件」を発端に独裁政治を強化、国民の自由を統制する「戒厳令」を執行。

以後、彼の息子が政権を引き継ぎ戒厳令を解除(1987年)するまでの38年間、国民党の一党独裁政治が続いた。

戦前・戦後をまたいだ世代にとって、日本統治時代と蒋介石の独裁政治時代を比較した場合、蒋介石時代の方が圧倒的に許し難いようだ。

玉鳳さんはこんな事も仰った。

「戦後当時の台湾人は留学経験もあるエリートもいたし、日本のおかげで農作物も豊富で、あらゆる面で大陸(台湾人は中国をこう呼ぶ)より優れていました。それを蒋介石が腰掛代わりに台湾に逃げ込み、難民を30万も連れ込んだせいで大パニックになりました。大インフレになり米の値段が戦前の400倍になったのです。学識がない「外省人」(元々住んでいた台湾人を「本省人」と言うのに対し、大陸から来た人々をこう呼ぶ)が蒋介石の命で要職に就きだしました。しかも、蒋介石は武力で台湾人を押さえつけ、『228事件』という悲しい惨事を引き起こしました。」

彼女のお話を伺った2時間半もの間、なんとも複雑な思いで一杯になった。

青春期を「日本人」として教育され、終戦後今度は「中国人」になれと強要された「台湾人」のアイデンティティーは?

時は流れ民主国となった台湾(中華民国)だが、未だに中国(中華人民共和国)との緊張関係は拭えない、中国の手前国連にも加盟出来ない、驚く事に日本とも国交がないのが現状だ。

それでも彼女は胸を張って言う。

「私は台湾人です」と。

正直、自分が恥ずかしくなった。

生まれた時から平和が当たり前、ナショナリズムを感じるのはオリンピックとワールドカップの時ぐらい。

海外生活をしていた頃は、「外から見た日本」を自覚していたつもりだが、近年はまた日常に飼いならされていた。

しかし、彼女の最後の言葉で勇気と今後のヒントを貰った。

「日本人は本当に素晴らしい民族です。

どうかそれを忘れないで下さい。

自信を持って下さい。

ただ最近、あんなに礼儀を重んじていた日本人が崩れて来ているように思います。

どうかその点も考えてみて下さい。」

当時を知る貴重な語り部達は、言うまでもなく御高齢である。

私達は出来る限り彼らに耳を傾け、この事実をいつまでも忘れる事なく語り継いで行くべきだろう。

玉鳳さん、ありがとうございました!

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2007/04/15

台湾紀行②「これぇ~、うしぃ~、ぜんぶぅ~」

「滞在2日目」

昨夜激しくクラブ活動したせいか、昼過ぎまで寝てしまった。

しかしなんて事はない、時間を気にせずゆっくり行動出来るのはロングステー時の強みである。

2時間ぐらいぼんやりした後、ようやく外出。

今回の旅は前回にも記したが、「オール・ノープラン」である。

従って、今日の予定も未定である。

扉を一歩踏み出してから行き先を決めるのは一見無謀に思われるかも知れないが、これはこれで楽しい。

そんなこんなで、とりあえずマンション前の大通りに出てみる事に。

相変わらず原チャリと車で溢れかえっている。

そうそう、こちらでは原チャリに乗る際、かなりの確立で「マスク」を着用している。

日本以上に空気汚染されているせいだろうが、若い子はそれぞれ思い思いの柄のマスクをしており、なんだか愛らしい。

それと都市部にも関わらず犬が放し飼いされているのに驚いた。

一昔前の日本ではよく野良犬がウロチョロしていたが、最近は保健所の尽力の賜物か殆ど見かけなくなった。

それだけに、信号待ちしている私から離れようとしない中型犬に向かって思わず、

「おっ…お前!俺の事噛んで狂犬病にしたら許さねぇぞ!!」

なんてやや及び腰の私。

それと信号待ちで思い出したが、こちらの信号機はちょっと変わっていて、青信号の際何秒間青なのかカウント(30…29…28って具合に)される。

しかも、青信号の時は信号の代わりに人の絵が液晶に出て来て歩き出す。

更にカウントが10…9…8と進むにつれ、液晶の人の絵が早歩きになって行く。

まるでゲームウォッチのキャラクターのようだ。

大通りを1時間ぐらい歩き、「シンティエンゴン」と言う寺院に辿り着いた。

院内にはお年寄りが青い礼服を着て、細長い線香を配っていた。

私も何度か貰おうとしたが、正式な使用方法が分からなかったので断念。

更に奥へ入ると、おびただしい数のお供え物(大半はお菓子や果物)があり、台湾人の神仏に対する信仰の強さが伺われた。

その後、朝から何も食べていない事に気付いた私は食を求め再びさまよい歩く。

とにかくこの街は、2軒に1軒は食堂と言っても過言ではないぐらい、店がひしめき合っている。

大きなお世話だが、「よくもま~潰れないもんだ!」と感心させられる。

きっとかなりの生存競争なんだろうなぁ。

台湾都市部は東京以上に外食率が高いらしいが、それにしても多い。

そんな中、そこそこ込み合っている店へ入ってみた。

店内に通されメニューを見るとどうやら鍋がお勧めらしいが、さすがに一人鍋をするガッツもなく迷っているとおばちゃん店員がやって来た。

けたたましい北京語で話しかけられるも1ミクロンも理解出来ず困っていると、ようやく私が日本人だと言うことに気付いたらしく奥からおじさんが登場!

2日目にして早くも「現地人」と間違われる私。

おじさんは若干日本語が話せるも肝心の料理説明となると、「これぇ〜、うしぃ〜、ぜんぶぅ〜」とか、明らかに違いそうな二品を指して、「これとぉ~、これぇ~、おなじぃ~」などと仰る。

英語は全く通じないし、おじさんの日本語はかな~りユルイ感じなので、言われるがままにオーダーしてみる事にした。

しばらくして「これぇ~、うしぃ~、ぜんぶぅ~」スープが登場。

小皿に鬼のような量の刻み生姜が盛られて来たので、それをスープに全部放り込みズズ〜っとすすってみた。

「おっ…?美味いかも!?」

まるで「永谷園のお茶漬けの素」のCMのようにスープをすする私。

続いて運ばれて来たのは「これとぉ~、これぇ~、おなじぃ~」炒めが。

基本的には美味いのだが、若干ハッカクに苦戦を強いられる。

おじさんリコメンドの合計は240元(約960円)と少々お高くついてしまった。

その後、誠と合流し彼の行き付けのレストランへ(・・・って言うか食ってばっかじゃん!)。

そこは結構広い店内に、ビッシリお客が詰めかけていた。

ここでのチョイスは、代表的な客家料理(はっかくりょうり)の「クージャーシャオツァオ」や焼き蛤、台湾の味噌汁、台湾ビールなど計7品。

「クージャ~」はセリや豚、イカ、揚げ豆腐を独特の味付けで炒めたもので、酒のつまみにピッタリ!

また台湾ビールは主に3種類あるそうだが、私が飲んだ2種類は日本の一般的なビールより軽い(薄い?)感じで飲みやすかった。

二人で650元(約2600円)だった。

なんだか今日はのんびり食道楽な一日だった。

明日は少し早起きして、色々回ってみるとしよう。

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2007/04/09

台湾紀行①「雲開月出正分明」

「滞在初日」

台湾出発前夜、興奮して一睡も出来ないまま成田に向かう。

予定の時間よりもだいぶ早く出発し、空港のスタバでアイスモカとシナモンロールを頬張る。

それでもまだ時間が余っていたので書店に向かい、何度読んでも飽きない漱石の「こころ」と村上春樹の「海辺のカフカ上・下巻」、何か最近生き迷っているのか「R25 つきぬけた男たち」という本まで買ってしまった。

ちなみに、「つきぬけた〜」は「マイブーム」を流行らせたみうらじゅん氏から、団塊ジュニアには絶大なる兄貴感を漂わせる北方謙三氏まで28人の男達が25歳当時の自分を振り返りつつ、青年達に熱いメッセージを贈るといったものである。

さて、今回はエアーニッポンでのフライト。

機内では昨夜一睡も出来なかったのを取り戻すべく大爆睡大会を繰り広げるつもりだったが、何故か全然眠れない…。

機内食(魚を選んだら若干寂しい感じのカニご飯が出て来た)を食べれば眠気が襲って来るかと思いきや、ノン・レム睡眠の嵐。

そうこうしてる間(3時間強)に桃園空港に着陸。

荷物が中々出て来ないので「これで鞄パクられてたら笑えんな」と思いつつ、少しニヤけている気味の悪い私。

最後の最後で無事鞄と再会。

到着ロビーを出ると、従弟の誠が出迎えてくれた。

彼は慶大卒業後JR北海道に就職し、現在台湾に赴任中の29歳。

昨年の4月に赴任した彼は、もうすっかり現地人化していた。

なんせ台湾人も彼に北京語で話しかけてくる有様。

ただ感心したのはネイティブと冗談を言える程に卓越している彼の語学力!

いやはや、偏差値は裏切らない。

二階建てバスで揺られること1時間、台北中心街にある彼のマンションへ。

案内された彼の部屋は二重扉のしっかりとした門構えで、内装もお洒落。

窓を開けると眼前には公園の緑が広がっていて心地良い。

ただ一つ驚いたのが、台湾のトイレは水流が弱いから、ホテルやデパート以外では紙は直接流さず備え付けのゴミ箱に捨てると言う事だ。

何かチョッピリ照れ臭い32歳の春でした。

荷物を置いて、いよいよ市内観光へ。

誠は、「俺の移動ツールは原チャリだから宜しく!」といきなりメットを私に渡した。

「えっ?だってこれ原付だから2人乗り出来ないじゃん!」と言うと、

「だ〜いじょ〜ぶ!こっちでは全然オッケーだから!」と有無も言わさず後方シートに乗せられた。

彼はエンジンがかかるなり鬼の様な猛スピードで街を駆け抜けた。

「たっ…たのむから、もっ…もう少し速度落としてみよっか?」

何度叫んだであろう、覚えているだけで30回はシャウトしたのではなかろうか?

そんな私を尻目に「アハハ〜、こっちではこんぐらいの運転しなきゃやってけないのよ!」

確かに、物凄い数の原付バイクが走っている。

イメージとしては、昔何かの映像で見た中国の凄まじい自転車通行に近い。

とにかく車の狭い隙間を潜り抜けるわ、ブレーキは全然使わないわ、赤信号で止まるとバイクレース並みに横一直線になり、今か今かと青信号を待つわで、「湘南爆走族」もしくは「エキサイトバイク」状態だった。

そんな凄まじい運転に翻弄される事15分(私には1時間に感じた…)、日本でも小龍包で有名な(新宿タイムズスクエアーにも支店がある)「ディンタイフォン」へ到着。

台湾でも人気店らしいが、時間も早かったせいかそれほど待たずに入店出来た。

台湾の記念すべき一食目は、小龍包、カニ小龍包、海老ワンタンスープ、海老チャーハン、キャベツ炒め。

筆舌し難いとはまさにこの事を言うのだろう、カニ小龍包は絶品だった。

2人合わせてしめて2000元(約8000円)だった。

私はよくその国の物価指数をコカコーラの350ml缶の値段で比較している。

セブンイレブンでの販売価格が20元(約80円)だから、台湾の物価は日本の2/3ぐらいであろうか?

そう考えると,ディンタイフォンは贅沢と言える。

その後、世界一の高層ビル「台北101」へ。

その名の通り101階建ての超高層ビルなのだが、何て事はない横浜ランドマークタワーのようなものだった。

101の後はビルから程近い寺院、「ソンサンツーヨウコン」へ。

ここには道教から仏教まで様々な神様が祭られているらしく、不思議な寺院だった。

なんでも、この寺院はどんな願い事でも叶えてくれるという。

私は、「この旅が素敵なものになりますように」とお願いした。

おみくじ(ある意味日本のものと同じで木札をひき、そこに十二支が二つ表記されているのでそれに従ってお札をもらう)をひくと親切にも寺院の方が一人一人におみくじの解説をしてくれる。

おみくじにはこう記されていた。

「雲 開 月 出 正 分 明」

「人間関係で素敵な事が起こり、いい旅になる」との事!

なんだか無性に嬉しくなった。

おみくじで高揚した気分を胸に、隣接する「夜市」へ。

「夜市」とは屋台が所狭しと立ち並ぶ台湾ならではのもので、食品から雑貨までもうなんでもありの屋台街の事を言う。

雰囲気としては上野のアメ横と築地の市場を足し、更にゴチャっとした感じ。

入り口は横浜中華街を彷彿させる。

入ってまず気になったのが異常な悪臭!

例えるなら「くさや」のような感じ。

従弟に鼻を押さえ押さえ訪ねると、「チョウドウフ」と教えられる。

漢字で書くと「臭豆腐」、そのままである。

あとこれは街全体に言える事だが、よく中華料理店で使われる香辛料、「ハッカク」の匂いがする。

香港在住時に慣らしたつもりだったが、やはりそこまで好きになれない…。

そんな匂いと格闘しつつも、夜市は歩いているだけで心底楽しい。

何の動物のどの部位だかさっぱり見当がつかない揚げ物だとか、鬼のように何種類もの味があるソーセージ、一人で食べたら確実に腹を壊すであろうエベレストのようなカキ氷など、突っ込みだしたらもうこの旅行が終わってしまうんじゃないかと思うぐらい面白い。

私は無難に「タピオカミルクティー」を購入したのだが、これがまた美味い!

日本のそれの3倍以上タピオカが入っていた。

飲んでも飲んでもおびただしいタピオカの嵐。

しかも、ミルクティーも甘すぎず私好みであった。

あっ、そうそう、一つ気になったのが「小鳥占い」。

白い小鳥が口ばしで器用に札を抜き取り、その出た札で占うというもの。

「おいおい、おばちゃん、そりゃ〜ないでしょ!小鳥ちゃんをそこまで調教した事にはエールを贈るけどさぁ…。」と突っ込みを入れようにも術を持たない私。

往復1時間は歩いたであろうか、たっぷり堪能した後はクラブに行ってみる事に。

向かった先は、先程の台北101の下にあるクラブ。

今宵はどうやら70'sをフィーチャーしているらしく、アフロを被ったお兄ちゃんお姉ちゃんがお出迎え。

フロアに入ると台湾の若者達が所狭しと盛り上がっていた。

そして驚いたのが台湾女性の美しさ!

ファッションもさる事ながら、身のこなしもクールな子が実に多いのだ。

台湾の若者はとにかく日本文化に敏感のようで、本屋に行けば日本の台湾版ファッション誌が所狭しと積まれ、テレビをつければJポップが引っ切り無しにかかっているといった状態。

これには歴史的背景も多分に絡んでいると思うが、とにかく街中に日本語が溢れているし、なんとなく少し前の日本の街並みに似ている気がする。

クラブで朝まで遊び疲れた私は、体を引きずるように帰宅した。

やばい、初日から楽し過ぎる…。

寝る時間がもったいない程充実した初日だった。

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